チャールズ&レイ イームズの歴史(詳細) | インテリアショップvanilla

イームズ夫妻

家具、おもちゃ、建築物・・・様々なデザインを手がけたチャールズ・イームズとレイ・イームズ。
20世紀のデザイン業界を牽引し、後のデザイナー達に大きな影響を与え続けた2人ですが、ここではチャールズとレイの作品だけでなく、どんな仕事をしてきたか、どんなできごとがあったかを年を追って紹介します。


主なできごと
1907 ミズーリ州セントルイスにて
チャールズ・オーマンド・イームズ誕生。
1912 カリフォルニア州サクラメントにて
バーナイス・アレクサンドラ・カイザー(レイ)誕生。
レイという名前は子供時代の「レイレイ』に由来する。後年正式にレイ・カイザーへと改名する。
1924 チャールズ ワシント大学建築科入学
(しかし学校の方針と合わず2年あまりで放校処分となります。)
1929 チャールズ 最初の妻と結婚
1930 チャールズ セントルイスで建築設計事務所を開設。
しかし'29年に起こったアメリカ大恐慌により業績は思わしくありませんでした。
1931 レイ NYに母親と移住。
美術学校に入学したレイはモダンアートに触れ、後の作風の基礎をここで培います。
1935 チャールズ 2度目に立ち上げた会社で設計した【聖マリア教会】が雑誌に取り上げられます。
そしてその記事がクランブルック美術アカデミーの学長をしていたエリエル・サーリネンの目に止まることとなります。
1938 サーリネンは特別研究員としてチャールズを学校へ招きます。
そこでチャールズは学長の息子であるエーロ・サーリネン(1910-1961)と出会い、意気投合。ともに作品を作り始めました。
1940 レイはニューヨークを離れ、クランブルックへ入学、ここでチャールズと出会います。
チャールズとエーロはニューヨーク近代美術館(MoMA)が主催の『住宅家具のオーガニックデザイン』コンペに共同で出展。【オーガニックチェア】を含む椅子や収納、テーブルなどを出展し優勝する。この仕事をレイも手伝いました。
1941 共通の関心の多さと才能に引かれ合い、5月にチャールズは前妻と離婚し6月にレイと結婚。
シカゴのレイのクラスメイトの家で結婚式を挙げ、そして車でひと月かけてカリフォルニア州ロサンゼルスへと向かいました。
そして同年、転機となるプライウッド製の足の骨折時の副え木【レッグ・スプリント】の開発を海軍から依頼されます。
1942 レッグ・スプリント5,000本を受注、プライフォームド・ウッド社を設立。
スタッフの中には後にワイヤーチェアのデザインで有名になるハリー・ベルトイアなどが在籍していました。
レイが「アーツ&アーキテクチャー」誌の表紙デザインを初めて手がける。
1943 海軍からレッグ・スプリントの代金支払いが滞ったため、プライフォームド・ウッド社をエヴァンス社に売却、成形合板部門となります。
ちなみに大戦が集結するまでに作られたレッグ・スプリントは15万個以上(!)。最終的に海軍からは「人命救助に関する感謝状」のみ送られました。
1945 レッグスプリントなどで培った技術を使って【DSW】【LCW】【チルドレンズチェア】【プライウッドエレファント】などを開発。

イームズ LCW ウォールナット

1946 ハーマンミラー社がイームズによるプライウッド家具の販売権を獲得します。
またこの年、チャールズはアレキサンダー・ジラード(1907-1993)と出会いました。

イームズ DCM ウォールナットイームズ LCM ウォールナット

1947 チャールズがジョージ・ネルソンの推薦でハーマンミラー社のデザインコンサルタントとなりました。
1948 MoMA主催「ローコスト家具デザイン」コンペに出展、入賞。
この年からハーマンミラー社のグラフィックを手がけることとなります。
【ラ・シェーズ】を製作。
1949 イームズ・ハウス(ケース・スタディ・ハウス#8)が完成。

イームズ ストレージ ユニット

1950 金属製のシェルチェアを作ろうとしていたチャールズの前に新しい技術・素材が現れます。
FRP。それはガラス繊維で補強したプラスチックで金属よりも軽くて丈夫な上ローコストな素材でした。
そして技術が発達したおかげで、この年イームズの代名詞とも言えるシェルチェアが誕生しました。

イームズ アームシェルチェア RAR ホワイト イームズ ワイヤーベーステーブル LTRT

1951 イームズ・ハウスにてイサム・ノグチチャーリ-・チャップリンらを招いた茶会を開催されました。
またこの年、アレキサンダー・ジラードがチャールズの推薦でハーマンミラーに参加しています。
前年に製品化しなかった金属製のシェルチェアですが、製法を変え【ワイヤーメッシュ チェア】として製品化しました。

イームズ ワイヤーチェア

1953 第3回アスペン・デザイン会議で訪米した剣持勇らと親交を持ちます。
そしてアームシェルチェアに遅れること3年、サイドシェルチェアが誕生します(このときスタッキングベースのDSSはまだ開発されていません)。

イームズ サイドシェルチェア DSR ホワイト イームズ ハングイットオール

1954 イームズ ソファコンパクト
1955 【プライウッド フォールディング スクリーン】【イームズ ストレージ ユニット】が生産中止に。

イームズ サイドシェルチェア DSS ホワイト

1956 徹底的に座り心地を追求した【ラウンジチェア】を製作。

イームズ ラウンジチェア&オットマン

1957 12月に初来日。後に大規模な展覧会へと発展するIBMとのコラボレーションが始まります。
同年ヴィトラ社がイームズの家具をライセンスで欧州に導入します。
1958 家具のデザインがオフィス用、公共用中心となっていきます。

イームズ アルミナムグループ マネージメントチェア

1960 東京の伊勢丹百貨店でハーマンミラー社製品の展覧会開催。

イームズ ウォールナットスツール 411 イームズ ウォールナットスツール 412 イームズ ウォールナットスツール 413

1961 盟友エーロサーリネン死去
【ラフォンダチェア】製作
1962 現在のイームズオフィス代表のイームズ・ディミトリオスが誕生。
1964 ニューヨーク万博のIBMパビリオンでフィルムやデザインを手がける。
【3473ソファ】【セグトメンベーステーブル】を製作。
1965 この年から展覧会とフィルム製作が活動の中心となっていきます。
1968 イームズ夫妻が友人だったビリー・ワイルダーのために【チェイス】をデザイン。

イームズ チェイス

1969 チャールズ、「デザインとは?」展にアメリカを代表するデザイナーとして参加。

イームズ ソフトパッドグループ マネジメントチェア

1970 大阪万博開催。IBMパビリオンのためにコンピュータ・ハウス・オブ・カードをデザイン。
1971 【ルースクッション・アームチェア】【2ピース・プラスチックチェア】を製作。
1973 MoMA「チャールズ・イームズの家具」展を開催。
1975 イームズによる最大級の展覧会「フランクリンとジェファーソンの世界」開催
1978 8月21日、故郷セントルイスにてチャールズ・イームズ死去。
その10年後の同日、レイもこの世を去りました。
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